天女が羽衣をかけたとされる羽衣伝説で有名な松です。

この松は御穂神社のご神体で、祭神の三穂津彦命・三穂津姫命が降臨する際のよりしろ(目印)とされており、およそ500mの松並木の参道「神の道」を経て御穂神社へと通じています。

初代の羽衣の松は宝永4年(1707年)の富士宝永山噴火の際に海中に没したと伝わっていますが、二代目の羽衣の松も樹齢650年を越えて衰弱が激しく、現在は三代目の元気な松に世代交代をしました。松のとなりには同社の離宮・羽車神社があります。

毎年元旦の朝には大勢の人々が集い、伊豆半島の山々から昇る初日の出を拝みます。

<交通>

JR清水駅から東海大学三保水族館行き24分・白浜町下車、徒歩10分

羽衣の松の世代交代

平成22年10月 数世紀に一度の大イベント、羽衣の松の世代交代が行われました。

羽車神社

御穂神社の離宮で、羽衣の松のかたわら、駿河湾をのぞむ浜辺にある小さな神社です。祭神は三穂津彦命(大国主命)と三穂津姫命。ここでは石に願い事を書いて納める風習があるとのことで、今でも足もとにはさまざまな願い事が書かれた石を見ることができます。

エレーヌの碑

能「羽衣」に魅せられ、三保松原に憧れつつこの地を訪れることなく35歳の若さで亡くなったフランスの舞踊家、エレーヌ・ジュグラリスを記念した碑。彼女の熱意に共感した地域住民により、1952年に「エレーヌの碑(羽衣の碑)」が建てられました。彼女はまた、能「羽衣」を題材にした自らの作品「羽衣」も発表していました。碑の下には彼女の遺言にもとづき、その遺髪が埋納されています。

砂に「羽衣」を与える?

「羽衣伝説」の世界に引かれて、三保松原を訪れる方も多いのではないでしょうか。
昔、天女は「羽衣」を返してもらい、天に戻っていきました。現在の清水海岸では、砂浜がなくなるのを防ぐために、海岸の砂に「羽衣」を与えるような対策が行われています。
一見動きの無い海岸ですが、海岸の砂は動いてます。寄せては返す波とともに砂も海岸に打ち寄せたり沖に流されたりしながら、少しづつ東へ東へと流されています。天女は羽衣を返されて再び空へと戻っていきましたが、東へと流された砂は三保半島の先端から駿河湾の底に流れ込むと二度と海岸に戻ってきません。
そこで、深海へ流れこんでしまう前に砂を採取して、砂浜に戻す工事を実施しています。伝説に例えると、「もとの砂浜に帰れない砂に羽衣を与える」ような工事です。
天女は美しい舞を披露して天に帰りました。戻された砂は、美しい砂浜となって美しい景観を私たちに見せてくれることでしょう。

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